皆さま、Salamet slang~☆
この度、お客様のリクエストにお応えして、PALM MART内にATMを設置しました!
現金のお引き出しや、残高の確認などに、
PALM MART営業時間中にお気軽にご利用ください(*^^*)
もちろん、パームスプリングスのご入居者さま以外のお客様のご利用いただけますよ。
ATM設置!ということでインドネシア・ルピア(Rupiah)についての小話をひとつ。
ルピアは、皆さんご存知、インドネシアで使用されている通貨です。
通貨の表記はIDR。
実は補助通貨もあって、【セン】といいます。
1ルピアは100センです。
他の通貨は人物が1人に対して、ピンクのインドネシア紙幣100,000IDRには2人の人物が載っています。
このピンクの紙幣に載っているは【スカルノ氏とハッタ氏】。
インドネシアの国際空港、スカルノ・ハッタ空港とも名前がついているように、
インドネシアではか~な~り有名な&偉大なる人物なのです。
どういった人物か皆さんご存知でしょうか?
一言でいうと、彼らはインドネシア共和国建国の父。
時は第二次世界大戦。
当時のインドネシアはオランダの植民地でした。
日本が連合国に対して降伏してから2日後の8月17日のこと。
オランダ植民地政府が逃亡したままという権力の空白をぬった形で
スカルノとハッタの2人が「インドネシア国民の名において」インドネシアの独立を宣言し、
ともに、インドネシア共和国を立ち上げたのです。
お札や空港の名前も、【スカルノ・ハッタ】と良く並べられていますが、
本当のところは、生まれも育ちも、さらには考え方も全く異なる二人だったと言われています。
スカルノはジャワ人の父とバリ人のハーフでスラバヤ出身。
ジョグジャカルタ生まれの生粋のジャワ人というわけでも、
デンパサールのコテコテのバリ人というわけでもなく、
文化的にハイブリットな環境で育ちました。
一方、ハッタは、西スマトラのミナンカバウ族の出身で、実家は商売をしていました。
裕福な家庭で育ったハッタは、オランダへの留学経験もありました。
インドネシア独立を促進する一方で、ヨーロッパ諸国とのつながりも強い人物でした。
ヨーロッパからの独立を果たし、インドネシア共和国を樹立し、
多民族国家のインドネシアをまとめ上げた二人。
その背景には二人のバックグラウンドが大きく関係していたのかもしれませんね。
是非、ピンクのインドネシア紙幣を手に取ったときに
偉大なるスカルノ氏とハッタ氏のことをちょっと見てみてください。
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